#96 吾妻山公園の歴史を学ぶ

【福井尚子・高志】


二宮町の名所のひとつ、吾妻山公園。先日はその吾妻山に登ったという記事を、投稿しました。今回、そんな吾妻山の歴史を学べる講座があるということで、参加してきました。


吾妻山にはすでに過去数回登っており、家族や友達が来た時にも案内することが多いお気に入りスポットです。そんな吾妻山の歴史が知れたら面白いなぁというのがシンプルな参加の動機だったのですが、よくよく考えてみると、吾妻山がなぜ菜の花で有名なのかも、全然知らないことに気付きます。二宮町中に菜の花が咲き乱れているわけでもないので、吾妻山が菜の花で有名となるきっかけが何かあったのでしょうか?


そんなことを考えながら参加したのは、一色小学校区地域再生協議会が主催する歴史講座「吾妻山ものがたり」です。一色小学校区地域再生協議会が主催するイベントは、過去にも古民家コンサートなど何度か参加したことがありますが、歴史講座は初めて。祝日の午前中ということもあって、数十人の方が受講されていました。


講座は、吾妻山と人々の生活には昭和以前から密接な関係があったとする話から始まり、主に昭和30年から現在までの吾妻山の歴史について説明がありました。

二宮町は、吾妻山を含む土地の「開発」と自然の「保護」の両方を揺れ動きながら今の姿になったようですが、開発の先陣を切った象徴として、私たちが住む二宮団地(百合が丘団地)が取り上げられていたのが印象的でした。

団地の造成が行われたのは昭和37年ですが、吾妻山の開発が始まったのはそれより後のことで、昭和48年に造成工事が完了。今の吾妻山公園に繋がる計画が持ち上がったのは昭和55年、吾妻山公園の完成は昭和62年ということで、私と同い年でした。


菜の花が咲き始めたのは完成から2年後の平成元年。「町から委託されていた公園の管理者が何気なくまいた菜の花がぽつぽつと咲いたことを新聞が取り上げ、『日本一早い菜の花』と紹介」された、とのこと。何と、菜の花が有名になったのは計画的ではなく「何気なくまいた」のが始まりだったのです!さらには、その当時は株数も多くなかったこともあり、訪れた人から寄せられた「期待していたほどではなかった」との声に発奮して整備が進められた、という面白い裏話も。

こうして平成17年に「第1回菜の花まつり」が開催され、第4回に当たる平成20年から名称が「菜の花ウォッチング」という今の形になったそうです。今では菜の花は6万株に増え、先日紹介した吊るし雛など多彩なイベントが「菜の花ウォッチング」期間中に開催されて大変な賑わいとなっています。(詳しくはこちら 湘南二宮町観光ナビ


平成25年には学校給食に「菜の花の和え物」が取り入れられ、平成28年からはJR東海道線二宮駅の発車メロディーとして「♪菜の花畑に〜」の歌詞で知られる「おぼろ月夜」が採用されるなど、二宮町と吾妻山、それから菜の花は切っても切れない関係になっています。

そんな歴史や裏話を学んだことで、次回吾妻山に登る時はこれまでとは違う感覚が味わえそうです。"何気なく"菜の花を咲かせてくれた管理人さんに感謝しつつ、また近いうちに吾妻山に登りたいと思います。

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